豊後水道に突き出した全長13kmのギザギザ半島、由良半島。いつもながらの狭道で(^^;)、カーブのアップダウンが続く半島のプチツー紀行後編です。
今回は真ん中より半分の付け根の部分、南部愛南町油袋火打から小さな運河のある船越地区まで、とそして北部海岸へ廻り、宇和海に沈む美しーい夕日を眺めながら、カラフルな家が並ぶ由良半島のブラーノ島(←盛りすぎ!?(^^;) と私が勝手に呼んでいる宇和島市津島町曲烏地区までをご案内します。
ルート
C、愛南町船越地区(半島を横断するほそーい水色が船越運河)
火打という名前の由来
昨日のブログでも取り上げたところですが、「火打」の地名の由来が分かりましたのでお伝えします。(‘ω’)ノ
火打地区には ”放散虫チャート” という、プランクトンなどの海の生物の死骸が海底に堆積してできた非常に硬い岩石層が露出している部分があり、その岩石を人々が削って火打ち石として使っていたので、「火打」という地名になったんだそうです。
火打地区の海岸線を歩けば地学に詳しい人ならその放散虫チャートの部分がすぐわかるようですよ。
愛南町役場からの情報です。ありがとうございました!
”油袋の謎”
あぶらぶくろではなく、ゆたい、と読みます。
ダイヤモンド☆ユタイ!!
スミマセン、やっぱりこれ言いたくなってしまいます…(^▽^;)
江戸時代中頃の文献に初めて、”ゆたい”という記述が出てくるそうです。
”ゆたい”と呼ばれていた地域に当て字として油袋をあてはめたのか、それともここの地区の湾の形が油の袋に似ているからだとか、油の袋を流したように静かな入り江だからーー(油の袋を入り江に流すと静かになるんだろうか???逆にえらい大騒ぎになるんじゃなかろうか?( ̄▽ ̄) ーーなどの説はあるそうですが、由来については全くの謎!
大いなるミステリー!!なんだそうです。
油袋のバス停より家串を臨む。誰もおらず、本当に静かな静かな場所でした。
と、写真を撮っていたら
油袋の集落の方から消防車がゾロゾロあがってきて、ちょービックリ!(゜.゜)!したのでした。
火打→油袋→消防車 だったので、「え!?え!?えー!?!?( ゚Д゚)」でした。
ちなみに避難訓練だったらしくて、サイレン音はなく小さい消防車がゾロゾロ通り過ぎて行っただけなのでした。
船越運河のある船越地区
細長くてギザギザに突き出た由良半島は、船が半島の向こう側に行くのにはかなり遠回りしなければなりませんでした。
小型船の場合はいったん陸に引き上げて向こう側まで車で運ぶ、という(だからここはそのまま船越という地名ナノデス!笑)非常に手がかかる方法をとらなければならかったりして、かなりのやっかい所だったそう。
そのため必須のショートカット通路として昭和41年に半島で一番狭い部分の船越地区を掘って船越運河が出来ました。
この小さな堤防の向こうが船越運河です。
…って、運河らしいところをお見せできるような写真がありませんでした(^▽^;)。
今度また撮ってきます!
流域が狭いところを流れる潮流はかなり早くなりますが、ここも違わず激流です。
そして船越地区には、こんな石垣を積んだ塀がある一画があります。
愛媛というより、どこか沖縄の武富島みたいな(←盛りすぎ??(^▽^;) 雰囲気です…よね? しませんか?? (笑)
ひっそり静かな須下地区
船越地区を訪れた跡は北側の由良半島、北灘に面した宇和島市津島側から本土(?)に戻ります。
4年前の2012年の3月に閉校になった由良小学校須下分校がある須下地区は今は何もなく2,3軒の民家と釣り船民宿の富士丸釣りセンターがあるだけの、ここも静かな地区。
可愛いネコの兄弟がいました。私たちを見つけて楽しそうに近づいてきました♪
宇和海の夕日が美しい平井地区
平井の集落を過ぎて、州鼻という陸地が海に出っ張ったとこら辺から、宇和海に沈む夕日鑑賞ができます。
西に海がある地域から見える夕日はホント!美しくて!いつも見入ってしまいます。
2016.7.14撮影。
由良半島のブラーノ!?曲烏(まがらす)地区
美しい夕日が見える洲鼻からちょっと進んだ所が、こちら由良半島のブラーノ島と呼ばれる(←私が勝手に呼んでるだけですが( ̄▽ ̄) カラフルな家が数軒並ぶ真珠養殖の曲烏地区があります。
ね、イタリアのブラーノ島みたいでしょ!?(笑)
先端の由良岬部分には旧海軍の潜水艦探知施設と砲台跡が
今回の由良半島紀行は船越で折り返しましたが、船越より西地域に行く第3弾をそのうち実行してみたいと思っています。
同じように真珠と鯛の養殖の集落があり、同じように細い曲がりくねったアップダウン道が続き、同じようなレポートになる可能性が大ですが( ̄▽ ̄)V
が、決定的に違うのは由良半島の先端は道がない!ことです!しかもこの道がない部分に、旧日本海軍の潜水艦探知施設がそのまま廃墟になって残されているんです。
正式名称を由良崎(ゆらのはな)防備衛所というこの遺構を訪ねてみたいと思っているのですが、陸上からは無理で船をチャーターして海上からしか近付けないんだそう。しかもナタとか持って、草木を払いながら、道を作りながら進まなきゃならないらしくて、その上ロープも必須らしい。(◎_◎;)
それに野生動物が出てくる可能性が高いので、地元の消防団がアテンドしてくれるツアーで行った方がいいらしい。。。(って、そんなツアーあるんかい!?)
という、かなりハードルが高そうな ”由良崎防備衛所ツアー”。もし行けたらその時は、またご報告させてイタダキマス。。( ̄ー ̄)
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船越地区の石垣は良く似たものが香川県の女木島にもあります。やはり海からの風が強く、それらを防ぐためなんでしょうか。女木島ではオオテと呼んでいるようです。
http://oninoyakata.strikingly.com/
曲鳥地区の海沿いの家は、もしかしたら船屋の名残かもしれませんね。ますます行ってみたくなりました(^o^)
がんさん
女木島、瀬戸内芸術祭やってる時に行ってみたいと思いつつ、結局行けませんでしたけど、鬼ヶ島の洞窟とかぜひ行きたいと思っています!
愛南町に石垣の里っていうところがあるんですよ。けっこう石垣が続く景観な場所で何か文化財になってたよーな??またそのうちアップしますね。確かに女木島のオオテと同じものですね!
暖かくなったらぜひ由良半島ツーリングに来てくださいね!(^^)/